内田 昇さん-トム&スージーファクトリー代表-前編-
≪プロフィール≫
名前 : 内田 昇
会社名 : 有限会社 トム&スージーファクトリー
1953年生まれ 山野美容専門学校卒
「愛する地元八王子以外では出店しない」をモットーに40年
「美容師になろう」と思ったきっかけ
中学生の頃、今からもう50年前ですが、漠然と“大学に行けば仕事があって将来安泰だろう”と思っていたので、99%大学進学の大学付属高校に進学しました。入学して半年が過ぎ「大学を出ただけでは使い者にならないのではないか?」と思うようになりました。成功するにはどうしたら良いかと考えたときに、当時ファッションに興味があったことと、人と話すのが好きだったので、「美容師に向いてるのではないか!」と思いました。当時は貧しい時代でした。中学1年のときに父が亡くなり、6人兄弟で家計は本当に厳しかったのですが、“末っ子である私にくらいは”という母親の考えで私立高校に行かせてもらったので、母親に早く恩返しがしたい、自立しなければという想いもありました。
当時では珍しい、高卒以上しか受験が出来ない山野美容専門学校へ入学。美容学校に入って初めて分かったのが「美容師は大学を卒業してからでもやる人がいる」ということでした。学校のレベルは高かったと思います。
同級生が大学を卒業する頃、世の中はオイルショックで1/3しか就職できない時代でした。半分以上が就職浪人し、本意ではない会社に就職した友人もいたことを思えば、自分はついていたように思います。
美容師を辞め、サラリーマンへ
山野美容専門学校卒業後、自由が丘の美容室に就職しました。営業時間が終わるのが20時。寮生活で、当時美容師は女性ばかりということもあり、女性視点で門限は22時。門限に遅れると次の日は掃除当番でした。20歳の遊びたい盛りにはきつかったですね。当時の給料は月3万円で、このままやっていて稼げるのだろうか?ということと、美容師はもっと都会的だと想像していましたが、全く違っていましたし、当時の美容師は男性が出世できないということで、耐えられず1年でドロップアウトしてしまいました。
地元八王子に戻り、たまたま見た新聞の「セールスインストラクター募集18万!」という美容メーカーの広告に惹かれ即応募。営業は初めてでしたが、美容の知識を活かせるので免許を取ったことは無駄になりませんし、週休2日で給料18万という条件が何よりも魅力的でした。しかし高額な給料には、やはりそれなりの理由があり、売上成績は良かったのですが、週休2日はなく、朝早くから夜遅くまで仕事をしたせいで半年で体調を崩してしまいました。世の中は厳しいと痛感しましたし、私の能力ではどんなに頑張っても給料はずっと18万だろうと感じました。
美容師は大変だと言われていますが、実際世の中にはもっと大変な職場があるということを見ることができたのは、本当にいい経験でした。そして「もう一度3万円の生活に戻ろう!」と決意しました。
再び美容師の世界へ
その後、知り合いの一人美容室に就職。修行のやり直しです。美容学校時代の同級生は既にカットコンテストに出ていました。正直焦りましたし、遅れを取り戻さねばいけないと思いました。働いている美容室とは別で、知り合いの先生が1回500円という破格のレッスン料でカットを教えてくれるということで、仕事終わりに毎日スクールに通いました。遅れを取り戻すにはどうしたらよいかと考えたときに、とにかく数をこなさないと上達しない。しかもこれからの時代のカットを勉強しなければならないと思いました。その為にはカットモデルを探さなければなりません。モデルハントをしてもなかなか見つからないのが今の時代の現状ですが、当時は“個人情報保護”などと言われていない時代だったので、幼稚園、小中高の同級生に片っ端から1000枚の年賀ハガキを送りました。年賀ハガキですと返信がくるうえに、美容師をやっていることを書くと「私も今度カットしてほしい」という人が1/3いました。その1/3の人たちに「何曜日が都合がいいの?」と連絡して予定を聞き、曜日ごとにわけると、150人くらいのリストになります。1ヶ月に150人ということは、1日最低3人はカットモデルがいるわけです。それを3ヶ月間。切って切って切りまくりました。3ヶ月やっているとローテーションするので、前にカットした人が「内田君タダでやってくれるから」とリピーターになります。モデルには困りません。それを半年間徹底してやり、技術の遅れを取り戻しました。
就職した美容室のオーナーが出産することになり、半年間店を閉めるという話に。これは「チャンス到来!」と思い「閉める半年の間僕に貸してください」とお願いをしました。お客様の繋ぎにもなるし、オーナーの収入にもなります。オーナーから快諾をもらい、1ヶ月材料費込で30万で借りてOPENし、プチオーナー経験をしました。これがなかなかの評判で、自信がつきましたし、22歳では経験できないことを経験をさせてもらいました。
オーナーが産休から復帰したのを機にその美容室を退職しました。当時日本は第一次アウトドアブーム。ファッション雑誌の編集部に勤めていた友人がアウトドアブランドの取材で海外に行くというので、勉強のために荷物持ちで同行させてもらいました。もちろん実費です。
取材では、各ブランドの話を美容の仕事に置き換えながら聞いていました。私は何をする時も、例えば電車に乗っている時でもご飯を食べている時でも「自分の仕事に置き換えたらどうだろう?」と考えています。「置き換え力」ですね。各ブランドの話を聞いて美容に置き換えてみてヒントをもらいました。そして「帰国したら開業しよう!」と思ったのです。
-続 く-
内田 昇さん-トム&スージーファクトリー代表 -中編- -後編-
≪会社情報≫
社名 : 有限会社 トム&スージーファクトリー
住所 : 東京都八王子市七国 6-47-9
電話番号 : 042-631-5789
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